皆さま、こんにちは!師走に入りました。師走の語源は、僧侶(師)でさえこの月になると忙しく走り回るからというのが通説。また、「忙」という字を分解すると、「心」を「亡」くしたとなります。暇人な私は忙しさで心を失うことはありませんが、お酒を飲み過ぎて心を失うことは最近増えている次第。日本酒を飲み始めた辺りから全く記憶が・・なんて。あな恥ずかしや!忘年会シーズン突入。二日酔いに悶えながら、もう絶対に飲み過ぎません!と繰り返す、学習能力の無いTUBOJUNです!
酔ってしまえばこっちのもの。人は饒舌になります。話があちらに飛び、こちらに飛び。結局、何を言いたいのか分からない。酔ってない人が酔っ払いの話を聞くのは辛いものです。しかし、お互いしらふで話をしても、結局何を言いたいのか分からないなんてことはよくあること。特に会議なんかでは、朗々と話をしていて聞こえは良く、その場では納得したような気になりながら、よくよく考えると結論が分からないなんてことがよくあります。その理由のひとつが「ビッグワード(Big Word)」
ビッグワードとはとは、聞こえが良くて分かったような気になるが、実は抽象的で解釈や認識のズレを生じやすい言葉をいいます。ビッグワードは、対象とする範囲が広く受け取り手がどうとでも解釈できるため対象を大まかに把握するには便利です。相手の視点や意識レベルを確かめるために敢えてビッグワードを用いる場合は問題ありませんが、往々にして無意識に使われています。従って、具体的な内容を詰めようとすると「私はそう思っていなかった」「その解釈は違う」となり、いわゆる「総論賛成、各論反対」に陥るのです。
具体的には、「パラダイム」「シナジー」など本人が理解しないままそれっぽく使っているカタカナ言葉、「早めに」「前向きに」などの形容詞・副詞、「検討する」「善処する」などの動詞、「そういったことも含めて」「その手の」などの代名詞、「的」などの接尾詞、「会議で決まった」など主語が無い発言、などがあります。ビッグワードは文脈が決定し、文脈に依存するため一概では説明できませんが、上記の例を見ればその定義が何となく分かりますよね。
私たちの身の周りはビッグワードであふれています。大半の会議の場はビッグワードの解釈と誤解と釈明という不毛な時間に大半を費やしているようにも思えます。日常の仕事もビッグワードで指示し、ビッグワードで報告する。「早めに対処して欲しい」「もう少し頑張ります」みたいな。結局何も進まない。問題も解決しない。何故ならお互い具体的には何もイメージしていないから。それでいて何となく済んだ気になる。言葉を丸めることでお互い無難にやり過ごすという意識も作用しているのでしょう。具体的に考える苦労を避け、易きに流れる思考停止。具体的な言葉にすれば自分にとっての逃げ場が無くなり、具体的な他人に対しても不利益が発生する可能性もあるからです。
ビッグワードというキーワードを通してみれば全てありがちな光景。恐るべし、ビッグワード。かくいう私も他人事ではありません。最近、社内で行った管理職研修で「主体性を持つ」ことを改めて学んだのです。主体性を持つということは、人間として自分の人生に対する責任を取るということです。抽象的な言葉で逃げ道を作っても、そのツケは後から自分に返ってくる。具体的な言葉で自らを追い込むことから逃げないようにしたいものです。自分の行動は周りの状況からではなく、自分自身の選択によって決まる。言葉にすれば一言で終わることですが、それが意外に難しいんですよね・・。
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