2018年02月05日
TUBOJUNコラム
第37回 「サンクコストの呪縛」
皆さま、こんにちは!立春を過ぎまして、寒も明け、暦のうえでは春。「寒明け」というのは二十四節気にちなむ言葉。二十四節季の小寒の初日から「寒の入り」といい、同じく二十四節季の大寒の最終日までを「寒の内」といいます。そして寒が終わった翌日である立春を「寒明け」というのです。特に工事に関わるの仕事では年まわりや厄を気にして立春以降に着工する習慣がいまだ根強く残っています。当社としてもお仕事の依頼が増える時期です。また、年度末が近付くに従い、片付けの依頼が増える時期でもあります。その節には当社のコンテナを是非ご利用下さいませ。
先日、実家の倉庫を片付けた時のこと。祖父母の時代から数十年に渡り溜めこんだガラクタと化したモノがあふれています。母親に立ち会ってもらい捨てる物と残す物を決めようとすると、母親は「結構高かったから」「もったいない」「まだ使うかも」と盛んに言い、一向に断捨離が進みません。「10年も20年も使わなかったモノは、もう使うこともないから捨てた方がいいよ!」と言うと、理屈では分かりながらも得心は出来ないようです。使わない物を持ち続けていても、それを買った時のお金は戻ってこないのに・・。さて、そんな母親の感情を支配しているのは一体何でしょう?
その正体は「サンクコストの呪縛」というもの。サンクコストは、日本語では「埋没費用」、過去に投じた費用であり、何をやっても回収できない費用のこと。それにこだわる余り実際には損な判断や行動を続ける心理的傾向をサンクコストの呪縛というのです。小さな話でいえば、始まってすぐに面白くないと感じた映画を我慢して最後まで見続けることや、バイキングで食べ過ぎることもサンクコストの呪縛の一種です。どちらの場合も払うお金は同じ。それならさっさと見切りをつけて映画館を出た方が時間の無駄になりませんし、腹八分目にしておけば長い目で見れば自分の身体にとっても得なハズ。もったいない思考や元を取ろうとする発想が往々にして余計な損を呼び込むのです。
大きな話でいえば、明らかに無駄な公共工事を中止に出来ないのもサンクコストの呪縛の最たる例です。「ここまで多額の資金を投入している以上、やめたら元も子もない」という心理は個人でも、法人でも、公共体でも同じです。無駄と分かった物事に更にお金と時間を投入する方が、客観的に考えれば更に無駄になるハズなのに、いざ当事者は、傷口が広がるのを防ぐ方が逆に無駄になると感じるのはサンクコストの呪縛そのものです。それは公共工事に限りません。例えば日本を代表する名門企業である東芝が未曽有の経営危機に追い込まれたのもサンクコストの呪縛から逃れられなかったのが原因。過去の支出を正当化するため、その投資に固執した結果です。覆水盆に返らず。
また、サンクコストと同様に経済学の重要な概念の一つに「機会費用」があります。世界で広く読まれている経済学の教科書「マンキュー入門経済学」では、第1章に経済学の十大原理を取り上げています。その第1原理は「人々はトレードオフ(相反する関係)に直面している」。そして第2原理は「あるものの費用は、それを得るために放棄したものの価値である」。この「放棄したものの価値」が機会費用(オポチューニティコスト)です。さて、サンクコストの呪縛から抜け出すにはどうすればいいのか?サンクコストを無視して、新たな機会を生むコストであるオポチューニティ―コストを大切にすること。機会費用こそ「時は金なり」。優先すべきは「感情」でなはく「勘定」なのです。
人は、コストと聞くとまず真っ先にお金を思い浮かべます。しかし、人生における一番のコストは時間です。世の中、お金に関しては決して平等とは思えませんが、1日24時間というのは誰しも平等です。また、埋没費用は一見単なる無駄のように思えますが、サンクコストの呪縛から逃れるためには考え方を変えることが必要です。それまで費やしてきた経験や努力は無駄にならない。埋没費用は授業料だと割り切って、その経験を将来に活かすことの方が重要です。人生は一回限り。誰しもが生まれた瞬間から死への秒読みが始まっている。それは絶対に加算されることはなく、減算されるだけ。そう考えればサンクコストにこだわることのバカバカしさが理解できるのではないでしょうか。
TUBOJUNの日々の仕事の様子はコチラ http://www.recycle-clean.co.jp/stuff/blog04