2017年04月05日
営業マンの独り言
第15回 「萩尾典之と言う人間についての巻」
今月のコラム担当の萩尾典之(はぎおのりゆき)と申します。リサイクルクリーンに入社して10年間営業一筋に頑張っている者です。私は浜松市天竜区春野町の出身です。もとは先月の営業コラム担当の竹山君と同じ周智郡だったのですが、浜松市が合併するときに周智郡を脱退して浜松市になりました。住んでいる人からすると生活自体は特に変わらず、イベントなどの予算関係が毎年減っているということだけです。
私の生まれた春野町はいい意味で緑豊かで自然にあふれた場所です。ただテレビなどで流れる田舎の風景とは違って、田畑が広がってはおらず山と山との土地に根差した街並みになっています。
私は物心ついた時から花粉症に悩まされて育ってきました。春野町は昔林業が盛んだったために、山には杉の木が多く植えられています。私は春になると、毎年苦しい思いをして生活してきました。卒業式、入学式の時の思い出は鼻水とくしゃみ、花粉症で目を潤ませていたことです。よく人から「春野町出身なのに花粉症なの?」と聞かれますが、私からすればそんなの関係ないと思います。
高校生までは春野町にある地元の学校へ進学していましたが、大学は元浜松大学に進学しました。中学生の時3年間は寮生活だったので、大学生から今まで続けている一人暮らしで、あまり苦労したことはありません。ただ、社会人になって仕事中心の生活で、休みは体の疲れをいやすことが優先になってしまい自炊はしなくなりました。大学生の時は毎日自炊していたものです。ちなみに大学生の時は漬物にハマっていて簡単な浅漬けから初めて、マイぬか床を毎日朝晩混ぜるのが日課でした。
大学では4年間パソコンでプログラムを作る勉強をしていました。私は4年間勉強をして、この業界は私に向いていないとはっきりと判り、浜松市内で就職活動をし、現在のリサイクルクリーンに入社することができました。リサイクルクリーンに入社して初めの4ヶ月ほど現場や事務所で研修をして、営業マンとして動き始めました。正直は初めの2年間は右も左もわからないまま、とにかくがむしゃらに仕事をしながらも、半分はこれからも自分はこの仕事続けて行けるのか、この仕事をやっていて周りの人に迷惑をかけていないかと言う思いが常にある状態でした。
私がリサイクルクリーンで営業と言う仕事を続けてこられたのは、がむしゃらにやった結果仕事が取れたことと、後から入ってきた後輩が私を頼ってくれたので、自分の中での不安が自信に変わっていったため、今でも営業と言う仕事を頑張っていられます。
私は、年に2回あるリサイクルクリーンの社員旅行の幹事もやらせて頂いています。入社した年から手伝いとして幹事に名前を連ねて、今では営業部のイベント関係の幹事長の乗松課長の下で右腕として頑張っています。元々、私の趣味が旅行だったので苦労はありますが、楽しくやらせて頂いています。毎年年明けに日帰りの初詣旅行、4月ごろに1泊2日で行く社員旅行と、年に2回幹事をやっています。なるべく同じ場所には行かないように、社員のみんなが笑顔で楽しめるように心がけて幹事をやらせて頂いています。今年は福岡県に飛行機で行くのですが、これまでバスでの旅行だったのでいろいろな意味で心配事が尽きませんが、帰ってきて社員のみんなが「おもしろかった」「よかった」と言ってもらえるように一生懸命頑張ります。
10年と言っても、感覚的にはあっという間でした。これから日々精進して、お客様に満足して頂き、「やっぱりリサイクルクリーンでよかった」と言ってもらえるような仕事をしていきたいと思います。長々と書いてきましたが、何を書きたかったのか自分でもわからなくなってしまいましたが、少しでも萩尾典之と言う人間に興味を持っていただければ幸いです。お付き合いありがとうござました。