2018年06月04日
TUBOJUNコラム
第41回 「瞑想する人のレクリエーション」
皆さま、こんにちは!本格的な夏が訪れる前の今の時期は、アウトドアのレジャーが気持ちいい季節です。バイク、サーフィン、キャンプ、土いじりなどアウトドア系の趣味を好む私としても心躍る季節。趣味といえばスキーやスノボーといったウインタースポーツや、音楽鑑賞や読書といったインドア系も嗜み、 趣味だけは無駄に多い私ですが、新たに趣味に加えてみたい遊びがあります。それは・・、釣り。ありきたりですが。
中学高校の頃はヘラブナ釣りに夢中になったこともありました。大学時代は琵琶湖へ、社会人になってからは都田ダムへブラックバス釣りに通うこともありました。釣りが好きだった父が他界した後、父の生前の釣り仲間に誘われ鮎の友釣りを嗜んだ頃もありました。そんな感じで釣りを趣味に成長させようと試みた機会は何度もありましたが、結局そこまでの境地には至らず。それがまたムラムラと再燃してきたのです。
まずはアームチェア・フィッシャーマンからスタート。ということでこの週末、アイザック・ウォルトンの「釣魚大全」を再読。世界中に知れ渡る釣り指南の歴史的名著と呼ばれる古典です。1653年刊行ですから実に350年以上もの昔。全世界で四百を超える版数を重ねるという意味では聖書をも上回ると云われる本です。本書の最後の一行を飾る「Study to be quiet(穏やかになることを学べ)」という言葉を、大の釣り好きであった作家の開高健がしばしば引用したことでも知られています。
釣魚大全は、師匠が弟子に釣りの楽しみを語りながら伝授するという内容。マスやウグイといった川魚の種類ごとに釣り方や料理の仕方をコマゴマ具体的に記載。400ページを超えるボリュームで、面白いかと問われれば退屈な部分が大半というのが正直なところ。ハウツー的な部分は適当に読み飛ばし、牧歌的というより前時代的な記述も多々。日本でいえば江戸時代四代将軍家綱の時代(!)の本ですからそれもそのハズ。
もっとも、この本の神髄は「The Compleat Angler」という原題に続く「or the Contemplative Man’s Recreation(瞑想する人のレクリエーション)という副題にあります。故事伝承、詩歌、随想を随所に織り交ぜるウォルトン卿の博識。釣りは競うものではなく、釣りを通して心穏やかにし思索を深めるものであると説く。「Study to be quiet」こそ瞑想する人のレクリエーションを象徴するに相応しい一言半句なのです。
「人の世はただむなし
水泡(みなわ)のごと短きいのち
苦しみと悲しみに、満ちてあり
取引と金と気苦労
気苦労と金の面倒のみにてあれば
さはあり、われら雨の日
悲しき思いを胸に秘め
歌わん、夜のあくるまで
明日晴れなば、われら
釣りに行かん、釣りに行かん」(釣り人の唄)
自らを知る。日常を離れる。穏やかになることを学ぶ。「われわれは遊ぶために遊ぶのである。志を失うために志に熱中するのである。ただし大半の人はせいぜいその見ぶりに熱中するだけで、けっして失うところまで肉薄、没頭できないものなのである」(開高健)。モノゴトの核心に迫ってその神髄を把握するには精神を質と量に集中して徹底的に叩き込むこと。そんな気分の哲学として釣りにハマってみようかな、と。
TUBOJUNの日々の仕事の様子はコチラ http://www.recycle-clean.co.jp/stuff/blog04